ブログトップ | ログイン

wedding 日記 

love040501.exblog.jp

天使になった私達の赤ちゃん【1】

2004年9月14日(火)

無事に、職場復帰することができた。
しかし、昨日の主治医の
「数値が下がっていない。とりあえず様子をみましょう。
金曜日にまた来てくださいね。
もしこのまま下がらなかったら、次の処置を考えないといけませんね。
具体的には、再手術か、抗がん剤を使った治療になります」
という言葉が、頭の中をぐるぐる回る。

一言で、表すなら「不安」だ。





天使になった、私達の赤ちゃん


2004年8月20日(金)

ここのところ、とても体調が悪い
ものすごくだるいのと、何故か足の付け根が痛い
基礎体温が高いまま

これは、もしかして妊娠かしら?と思い、とりあえず
週末に妊娠検査薬を買おうと思う
気持ちとしては、やや微妙
実感まるでナシ^^;
とりあえず、旦那様に、妊娠したかもと伝える
旦那様の反応も微妙



2004年8月21日(土)

妊娠検査薬を購入
ちょっと恥ずかしかったカモ☆

家に帰って、早速、検査をしてみる
食べたジャンクフードが悪かったのか、おなかも壊し
トイレからなかなか出られない(><)

結果:怖いから旦那様に見てもらった


陽性


そう、陽性だった。
昨日までの旦那様の反応と違って、大喜び
2人して、はしゃいだ
早くも、男の子かなぁ、女の子かなぁと想像して
名前なんか考えて浮かれていた。
設計中の家も、「やっぱかっこよさより、住み易さ安全性でしょ。」
なーんて、言って未来を想像しながら「もう一部屋作ろうか」
なんて、はしゃいでた。

勿論、何の不安も心配もなく、普通の出産ができるものと
思い込んでいた。
そうそう、流産が10%位あるみたいだから、とにかく
安静にしなきゃという認識だけがあった

この日から私の禁煙・禁酒生活が始まる
でも、ルンルンだから、何の問題もなかった。



2004年8月22日(日)

入院中の父を見舞いに、埼玉へ行く
毛糸のパンツなんぞはいて、ちょっとお腹をいたわってみた。

早速、旦那様から、テレながら実家の父と母に妊娠報告
大喜びと一緒に早く病院に行くように勧められる
排卵日もわかっていた私は、来週末に行くよといって
ご機嫌だった。

なんとなく、親になる実感が湧いてきた

そして、気が早い私は、
やっぱ、里帰り出産したいなと思い、地元の出産経験のある
友達に、妊娠報告し、地元の産婦人科情報を集めていた。
みんな、「やっとマキもママ友だねっ」って喜んでくれていた


2004年8月23日(月)

満員電車がちょっとツライ
特に、吐き気などはないが、相変わらずだるい
熱っぽさも加わっていた

まー、幸せだからなんとも感じていなかった

ところが、昼過ぎ、お腹がすごく痛くなってきた
激痛(><)

不安がよぎり、すぐに中抜けして職場近くの産婦人科を受診
「流産しちゃったらどうしよう・・・」

産婦人科では、事務的に色んな事を書かされて、「陽性反応がでたのね?」
と確認された。特に尿検査はなかった。
やたらとテンションが高い、先生だった。

そして、内診台にのって、一緒に膣内をエコーで診る。
ちょっと、ボロイ内診台だったが、モニタは新品だった
先生「う~ん。まだ早いのかな?赤ちゃんが見えていいはずなのに
見えないなぁ。もう一回診てみようか?」
数回繰り返し丁寧に診察してもらったが、胎嚢は確認できなかった。
「もしかしたら、まだ時期が早いから見えないのかもしれませんね。
もう一度、木曜か金曜に来てくださいね」
不安が一気に広がった
「一応、予定日は4月25日ですよ」
一応という言葉が引っかかった。
絶対ここでは産まないと思った。



2004年8月26日(木)

相変わらずお腹が痛いことがある
激痛ではない
なんとなく、不安が続いていた。

再診を受けた。
先生「今日は、見えるといいね」
相変わらずテンションが高い

ちょっと不安だったけど、私が期待していた言葉は
「あっ、見えたよ。これが心臓だよ」という言葉

しかし、先生から出た言葉は
「う~ん、やっぱり見えないねぇ。成長が遅いのかなぁ~
じゃ、降りてください。診察室でお話しますね」

頭の中が真っ白になるのを感じた。

「子宮外妊娠の可能性が高いです。」
その後、子宮外妊娠について説明をしてくれた
症状、検査方法、治療方法・・・
でも、覚えていない。あまり、頭に入らなかった。
しっかり覚えているのは、赤ちゃんは100%助からないという
言葉だけ

頭がクラクラした

先生は、大学病院への紹介状と、朝一番の尿を持っていくようにと
尿検査のキットをくれた

そんな日に限って、旦那様の帰りは遅かった。
不安で一杯だった。
でも、もしかしたら間違いかもしれないから、あまり不安になっちゃうと
赤ちゃんに悪いと、自分に言い聞かせた。



2004年8月27日(金)

会社を午前半休した
8:30、渋谷区にある、大きな大学病院の初診窓口に出向いた。
旦那様が、一緒に来てくれた。

産科の患者さんは、お腹が大きい人もいて、ちょっとドキドキした。
夫婦で来ている人が多かったので、旦那様が隣にいてくれてちょっと安心した。

どの位、待っただろうか。。。
診察室に呼ばれた。旦那様はロビーで待っていた

紹介状を持って、ドキドキしながら診察
先生はやさしそうな、白髪混じりの男性だった
最終生理日や、基礎体温表、症状などを聞かれて、内診室に入るように促された。

さすが、大学病院。
内診台は、とっても最新式のものだった。
そんなことは、どうでもいい。
内診とエコーの診断が始まった。ずいぶん長い間、診察されていたような
きがする。
モニターに赤ちゃんの袋みたいなものが確認できた。
ただし子宮内ではない場所に・・・

先生「子宮外妊娠の可能性は95%です。入院手術する形になるでしょう」
私「あの、外に主人がおりますので、一緒に聞いた方が宜しいでしょうか」
先生「そうですね。」

どうやって、旦那様を呼んだか覚えていない。

先生は、子宮外妊娠について、説明していた。
簡単に言えば、受精後、子宮に着床しなければならない卵が
子宮以外に着床すること
私の場合、恐らく、右の卵管に妊娠しており、子宮と違って
赤ちゃんの成長とともに、卵管は大きくならない為、
とってしまわないと、卵管破裂を起こし、最悪な場合、ショックで
命を落とすこともあるということ

手術方法とリスクについて
私の場合は、腹腔鏡をつかって、お腹に穴をあけて行う手術をし
最悪の場合、開腹で卵管を取ってしまう場合もあるが、基本的には
将来の妊娠を期待して、卵管温存する方向で行くということ

土日は安静にして、月曜日に再度くるように言われた。
95%の確立で、月曜に入院してもらうので、入院の準備もしてくるように
との事だった。
もし、土日にお腹に激痛が走ったり、大量出血が合った場合は
すぐに救急車を呼んで、運ばれた病院で「外妊の可能性があると診断されている」
旨をいうように言われた。

なんだか、よく事情が読めない。旦那様は、先生に色々質問していたけど
私は右から左に抜けていった。


わかったことは、私達の赤ちゃんは、この世に生まれないって事だけ


先生が5%の確立の正常妊娠の可能性のため、レントゲンは月曜にしましょう
採血と心電図だけ、今日とってから帰ってくださいと言われた。

採血の順番を待っているとき、悔しくて涙した。
寂しくて、悲しくて、涙があふれた

泣いても仕方ない



午後から、出社し、月曜から入院する為、2週間ほど休みをいただく旨と
関係社員に引継ぎなどバタバタとすごした。
忙しいのが嬉しかった。考えなくて済む。。。

ラッシュが嫌だったので、旦那様には、ラッシュが無い時間まで
会社で残業してから、帰るつもりという事をメールした。

そしたら、旦那様が家に帰って車で迎えに来てくれた。
優しさがしみる。
嬉しかった。



2004年8月28日(土)
昨日から、少し出血している
お腹は、さほど痛くない。
先生からは、お腹がすごく痛かったら・・・と説明を受けたが
正直、どこからが「スゴク」になるのかがわからない

今日は、旦那様は友人の結婚式の二次会で、バンド披露をする予定
外出中に、卵管破裂して救急車呼べずに死んでたら、シャレにならないので
私は、旦那様の送り迎え付で、市内に住む親友の家に預かってもらうことにしました。
首から上は、とても元気なので、彼女の結婚の話(今年のクリスマスに結婚)や
色んな話をして相手してもらいました。
ありがとー☆
お腹に優しいご飯まで作って頂いて、本当感謝♪
優しさがしみましたわ。。。
やっぱ、友達って大切ですね。

とにかく、無事に過ごせて良かった。



2004年8月29日(日)
絶対安静ということで、家事はせず、一日中旦那様と家で
すごしました。
一応、入院準備などしながら。。。

5%の確立で、もし正常妊娠だったら、みんなに笑ってもらおう☆と
思いながら、一日を過ごしました。

不思議と不安はあまり感じませんでした。
精神的には、落ち着いていたのでしょうか。
by maki_2004_happy | 2004-09-14 15:12 | 子宮外妊娠(2004年秋)
<< トホホ パート2 病は突然やってきた?! >>