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wedding 日記 

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カテゴリ:子宮外妊娠(2004年秋)( 10 )

子宮外妊娠


【子宮外妊娠】
このブログ、実は、このキーワードでいらっしゃる方が
非常に多い。
だから、ずっと、いつか記事を書きたいと思いながらも
気持ちの整理も必要で、なかなか書けずにいました。


私は子宮外妊娠経験者
大切な赤ちゃんを失っています。

だけど、今は二児の母。
子宮外妊娠して、卵管がひとつしかなくったって、
二人の母になれた私の目線で、
子宮外妊娠について、少しだけ書いてみようと思います。


子宮外妊娠、言葉そのまんまですが、
本来着床すべき子宮内ではなく、そのほかの場所に着床してしまうこと。
そして、そこで、発育してしまうこと
子宮ではないので赤ちゃんは正常に育つことは出来ず、
すごく悲しいことだけど、命は育ちません。

発生頻度は全体の妊娠の1%といわれ、
イメージしやすくいうと流産の1/10くらいの確率です。
(2004年現在、多分、今もさほど変わらないはず)
私の場合は多くの子宮外妊娠の人と一緒で、卵管妊娠でした。
はっきりといった原因は不明。すなわち予防はきわめて困難な状態です。

症状は、通常の妊娠と一緒。
生理が遅れ、胸が張り、いわゆるつわりが出ます。
ただ、卵管でいつまでも成長できるわけがなく、そのまま成長すれば、
卵管破裂か卵管流産をおこします。
卵管破裂をおこすと、ショック状態に陥り、昔の人は死にいたることもあったようです。
成長は週数とは関係ないそうで、
早期の場合、4ヶ月以上発育する場合、色々あるそうです。

では、何で子宮外妊娠がわかるのか?
はっきりいって、自覚症状がありません。
(母の直感?女の感?嫌な予感はしてましたが、その程度。。。)
本人でさえ、自覚症状がないのですから、大切なのは妊娠したと思ったら早期受診。
子宮内の胎嚢と心拍の確認ができれば、まず一安心です。

私の場合、卵管で成長している最中に子宮外妊娠が発覚
腹腔鏡下手術で、卵管温存するはずが、
妊娠の細胞をとりきれなかったということで、再手術
二度目の腹腔鏡下手術では、卵管切除となりました。

その時の様子は、当時書いていますので、よろしければご覧ください。
私は当時を思い出しちゃうから苦手で、本当は非公開にしたいんだけど
同じ思いをしている人がいれば、何か役に立つかもしれないので。。。








私は、医師から子宮外妊娠の可能性があると言われたとき、
全く知識がなくて、じゃ、その赤ちゃんを子宮に移す手術かなんか
すれば問題ない!って勝手に思ってしまいました。
だから、はじめ言われたときはなんだかよくわからなかったのが本音です。
家に戻ってから、ググッてみて、初めて、
現実を知って、ショックでたまらなかったのを覚えています。

当時はなんで私が??と逃げたい気持ちでいっぱいでしたが、
完全に落ち着いた今、当時の自分にメッセージを送ることができるなら

「起きてしまったことはしかたない。
戻ることのできない現実だから、それを受け止め
大切なのは、信頼できる医師と良く話し合い、夫と話し合い、
今後のことを含め、ベストな処置をすすめること。
そして、この病気の場合、最悪の場合卵管破裂を起こすから
時間がとても大切なこと。

妊娠することができたのだから、今回は正常妊娠じゃなかったけど
ちゃんと、また妊娠できるはずだから、
今は、自分の身体を大切に
決して自分を責めずに、
神様がくれた休みだと思ってゆっくり治しましょう」

ってことかな。

あくまでも、私のケースですが、
辛い経験をして、夫婦の絆が深まりました。
命の大切さを改めて感じました。
そして、家族の絆、家族を意識しました。
幸いなことに、赤ちゃんはもう一度、私達夫婦のところに帰ってきてくれました。
もちろん、あの時、失ってしまった赤ちゃんとは違う赤ちゃんだけど
私達夫婦の大切な赤ちゃんにはかわりません。

いまは、やんちゃな男の子ふたりに囲まれて、大変だけど
とっても幸せな日々を過ごしています。

辛いときは何時までも続きません。

じゃ、子宮外妊娠してよかったか?と聞かれると、
そりゃ、経験しなくていいなら経験しないにこしたことないけど
あの病気を乗り越えたから、今があるんだなと
心から、そう思います。
by maki_2004_happy | 2010-09-16 08:08 | 子宮外妊娠(2004年秋)

天使になった私達の赤ちゃん【4】 再入院~再手術

2004年9月17日(金)

暇だ。
痛みも治まり、なぜ入院しているか不明なくらい。
婦人科病棟に移されて、今度は、真中の暗いベットだ。ついてない。
暇すぎるから、ウロウロしてみた。
午前中お義母さんがお見舞いに来てくれた。
ロビーでテレビを見ているのがバレテしまった。
午後、診察
救急で入院したのに、もともと予約してあった時間の1時間も後に
外来に呼ばれた。
歩けるのに、先生の指示で、車椅子で看護婦さんに1Fの外来診察室まで
連れて行ってもらった。

数値は2200程度。あがり方としては少ないとのことだった。
先生の診断としては、昨日の腹痛が流産のようなものであれば
数値がこのまま下がるから、連休明けの火曜日に再度血液検査を
行い、その数値によって、火曜に手術か、退院になります。との
お話だった。

ちょっと、不安
でも、元気だし、大丈夫なような気もする。


2004年9月18日(土)

痛みも落ち着いている。
時々痛いけど。
どちらかというと、右の下腹に違和感がある感じ
ロビーでテレビをみたり、本を読んだり、暇すぎて無気力
午後から旦那様がきてくれた。
大丈夫でありますように


2004年9月19日(日)

本当、他の患者さんの迷惑じゃないかと思うくらい元気だ。
そして、暇。。。
退屈だから、雑誌をたくさん買い込んだ。
午後から旦那様がきてくれて、お土産に甘いものを差し入れてくれた(^0^)


2004年9月20日(祝)

う~ん

なんて、暇なんだろう
相変わらず下腹は違和感があるが、元気
大丈夫でありますように♪
午後から旦那様が来て、旦那様の夜ご飯のお弁当を分けてもらって食べた。


2004年9月21日(火)

6:30頃 朝一番で、採血
結果によっては、手術になるので、禁飲食
飲み物NGがちょっとつらい
結果が出次第、朝食を出してくれると看護婦さんに言われた。

お昼近くになっても、朝食が出ないので、ちょっとヤナ予感

11:30 看護婦さんがやってきて、
看護婦 「先生からお話があるけど、今日旦那さんくる?」
私   「旦那を呼ぶってことは、いい結果じゃないんだ。手術するの?
     だったら、実家とかにも連絡しないとだから、教えて」
看護婦 「う~ん。それは、先生とのお話合いの結果になるの」
私   「じゃ、連絡とります。連絡後1時間くらいでこれるように話してあります」

旦那様に電話をすると、すぐにきてくれるって。


病室に戻ると、同じ病室の患者さんたちが「どうした?」って
「多分手術になりそうです。あーん、逃げちゃえばよかった」
って言ったら、笑われた。
でも、これ本心だったのよね。

旦那様が到着すると、先生から、説明が
数値は既に4000を超えていた
すぐに手術をする必要があるとの説明で、その場で同意書にサインを求められました。
そして、今回は、卵管温存不可能であると。。。

卵管切除

まだ、子どものいない、私はすごいショックだった。
逃げたい
本気でそう思った。

現実は、そんなに甘いものではなく、すぐに手術の為の
点滴がつけられた。

手術時に用意しなければならないものを買いに、売店に行った。
実家の母に連絡し、今日手術になったことを伝えた。
旦那様の両親にも連絡した。


夕方
まだ、一回目の手術の記憶が新しいが、二度目の手術に向かった。
一回目は緊張していてあまり覚えていなかった手術室を
ユックリ眺めていた。
結構、先生(担当の医師)とおしゃべりしたり、リラックスしていた。
看護婦さんも今回は、優しいし、冷たい印象がない。

おしゃべりしていると
麻酔科の先生がやってきて
「前回の麻酔はどうでした?」と聞くので
「少し手が痛くなって重くなりますよって言われて、すごい痛くなったので
 少しじゃなくて、すごく痛いと言おうと思ったら、記憶がなくなっちゃいました」
 というと
 「じゃー。今回も眠っていただきましょう」
 怖っ~と思った瞬間、またまた眠らされてしまいました。



「イタイ、イタイ・・・」
術後、そんなことを何度も口にしながらうなされていたようです。
手術の日はなんだか、麻酔のせいか、記憶が途切れ途切れ。
だけど、すごく痛いって言っていたのが記憶にあります。

またまた、管だらけの体。
酸素管、尿管、点滴管・・・

母は、遠くからきてくれたので、18時過ぎには帰ってきました。

旦那様は21時くらいまでついていてくれたみたい。
前回の反省から、ずっとそばにいてくれました。
さんくす☆


2004年9月22日(水)

2度目なので、腰が痛くならないように気をつけていたのに
やっぱり術後は、うまく寝返りを打つことができなくて、
腰が痛くてたまりませんでした。

お昼から、水分OK
水を少しずつ飲みました。

午後、尿管が外されて、トイレまで一人で歩きます。
これも、二度目なので、結構体重移動もウマイもんで、ラクラク
トイレにいけました。
っていっても、痛いですけどね^^;

夕飯は、流動食を頂きます。やっぱり、まずい(><)
旦那様も、茶碗蒸をもって来てくれました!
茶碗蒸ゲット☆


2004年9月23日(木)

点滴のせいで、体がむくむ。
今日は、3分粥、5分粥、全粥と、どんどん、普通に近いものが
出てきて嬉しい☆
だけど、美味しくないのよね。
ちょっと、ヒマになってきました。


2004年9月24日(金)

退院診察のおねだりしちゃいました。
先生が2度目の入院手術ということもアリ、術前の診察のときに
早ければ土曜日帰っていいと言っていたのを思い出し
看護婦さんに
「今日診察ってあります?先生が土曜日に帰っていいって言っていたので
 退院診察があると思うんですけど???」
って、言ってみました。
「えっ?聞いてないわよ」と言われたので
「いや、明日退院したいんで、先生に確認してください」
と、強気!
だって、2度も入院させられたから、もう帰りたかったんだもん(><)

交渉の甲斐あり、明日、退院することが決まりました。
by maki_2004_happy | 2004-10-22 21:05 | 子宮外妊娠(2004年秋)

天使になった私達の赤ちゃん【3】 退院~再入院

2004年9月8日(水)9月9日(木)


実家でおとなしく過ごしていた。
母には本当、お世話になってしまった。
気分転換も含めて、父のお見舞いに車を運転していった。
父は元気そうで、一安心した。
病院によって、雰囲気が全然違うなぁと思った。


2004年9月10日(金)

父退院の日
母と二人でお迎えに行った。
約2ヵ月の入院生活にピリオドを打った。
やっぱり、家は嬉らしく、終始ご機嫌だった。
今回の件では、父にもずいぶん心配かけてしまったなぁ。


2004年9月11日(土)


姉と姪っ子2人が地元に帰ってきた。
義兄は明日迎えにくるらしい。
父も退院したので、賑やかになりそう。


2004年9月12日(日)

退院以来、久しぶりに旦那様と会う。
6日間お世話になった実家から、家に帰るため、迎えに来てくれたのだ。
姉たちも一緒に帰ってしまうので、父や母はちょっと寂しくなっちゃったかな?
みんなで、晩御飯を頂いて、久々の我が家に帰る。
2週間ぶりだ。


2004年9月13日(月)

今日は、退院以来、初の外来受診。
なぜか、妊娠性のホルモン数値が上がっていた。
ちょっと、お腹が痛いのが気になる
基礎体温が下がらないのもなんとなく気になった。

お医者様からちょっと不安な言葉もあった。
いやな予感がする
ホルモン数値が下がらなかったら、抗がん剤か再手術になるそうだ。
17日に再検査の約束をしたが、腹痛があったらまたくるように指示を受けた。

病院の後に、久しぶりに銀座のいきつけの美容院に行った。
夜は、旦那様と退院祝いの食事に出かける予定
田崎信也プロデュースのフレンチだそうだ。

ところがホルモンが下がっていなく、お医者様の話をしたところ、
旦那様は、早退してきてしまい、お店もキャンセルしてしまった

食欲を失った二人は、おいしくもない寿司を食べて帰った。



2004年9月14日(火)

職場復帰
職場のみんなにも本当迷惑をかけてしまったな。
がんばって仕事をしなければ・・・
精神的には元気だけれど、無理は禁物
17時にフレックスを使って帰った


2004年9月15日(水)

やっぱり、お腹が痛い
不安なので、病院に電話して、午後から外来に行った。
先生は、すぐに何かする感じではないが、予定通り金曜日検査しましょうとの
話だった。



2004年9月16日(木)

今日は、体調がいいので、ラッシュが終わってから帰ろうと思って仕事をした。
殆どのメンバーが帰った、20時、そろそろ帰ろうと思ったところ
激痛

お腹が痛くて痛くて、歩けなくなってしまった。
ヤバイ と思った。

とりあえず、一人でいるのが怖くて、旦那様に電話した。
旦那様は、すぐに、私の会社に迎えに行くと言ってくれた。
精神的にはかなりほっとした。
ところが、痛みは、どんどん増すばかり
旦那様を待てずに、病院に電話した。
会社から病院はタクシーで10分くらい

救急で、すぐにくるように指示が出た。
タクシーに乗っても、話もできないくらい、痛くて痛くて仕方なかった。

救急待合室
普段の病院とやっぱり違う
診察する場所もいつもと違う場所だ。
なーんて、待たされているうちに、なぜか痛みは落ち着いてしまった。

当直の先生いわく、妊娠しているような子宮でもないし、出血もないから
大丈夫でしょう。
ただし、痛みがあるので、今晩はこのまま入院してください。

診察が終わると、旦那様が到着していた。

あーん、我慢しておけばよかった。と後悔。。。
なぜなら、大嫌いな点滴をまたされてしまったから(><)
緊急手術の可能性があるとのことで、また大嫌いな太い手術用針
トホホ・・・

そして、なんと救急の場合、男女混合部屋だそうだ。
あれれ。。。

しばらく、旦那様は部屋にいてくれたが、終電もあるので、帰っていった。

夜中、救急患者が入ってきた。
ところが、この患者さん、とてもとても具合が悪いらしく、一晩中、一睡もせずに
嘔吐を繰り返してくれた。
そのたびに私は、起こされてしまい、なんだかなぁ。こっちも具合悪いんですけど・・・
寝不足になってしまいました。

翌日、看護婦さんが謝ってくれたけど。
by maki_2004_happy | 2004-10-05 12:47 | 子宮外妊娠(2004年秋)

天使になった私達の赤ちゃん【2】 入院~手術

2004年8月30日(月)


朝、旦那様の運転で、一応入院の荷物を持って病院にやってきた
予約の時間、旦那様と一緒に、診察室に入った。

先生「やはり、子宮外妊娠ですね。妊娠性のホルモンの値が5000を
超えています。今日、入院しましょう。手術は早い方がいいですね。
手術室確認するけど、今日出来たらしましょう」
先生は、手術室に連絡をし、なにやら調整してくれていた。

内診室で再度受診
これも、ずいぶん長い時間だった気がする。

それから、先生より、夫婦に詳細の話があった。
正直、何を言っていたかあまり覚えていない。
多分、手術の詳しい話と、状態の話、入院期間の話とかだったと思う。
手術のリスクや、出血時の輸血などの話があり、同意書にサインを
求められた。
「もう逃げられない・・・」
クラクラしてきた。
恥ずかしながら、本当に血の気が引いていって、フラフラになり
診察室のベットに横にならせてもらって、話を聞いた。

入院は、約9日間
手術時間は1時間半~2時間程度
腹腔鏡を使っての手術で基本的に卵管を温存する方向にするが、なかの
状態が良くなければ卵管を取ることもある
今後の妊娠について

保留になっていた、レントゲンを撮って、入院の手続きをした。
気持ちだけは普通の妊婦さんと一緒だっただけに、覚悟はしていたものの
レントゲン室で、一人、ちょっぴり涙した。

病棟は5階だった。
初入院
病室からは、職場のタワービルが見えた(^^;)
窓際だし、電動ベット(そうでない人もいた)だし、場所は悪くなかった。
まー、そんなことはどうでもいいが・・・
看護婦さんがやってきて、ベット回りの説明をしてくれた。
服は着替えても、そのままでもいいという
だから、そのまま旦那様とリラックスしていた。
すると、若いお医者様と看護婦さんがやってきた。
どうやら、病棟の担当の先生になるようだ。
先生「じゃ、採血と、点滴しますね。」
私「えっ、でも電話とかトイレとか行きたかった」
先生「あっ、点滴中でもできるから大丈夫だよ」
私心の中で「できないっちゅーの」

生まれて2回目の点滴を打つ私は、緊張していた。
結局、拒否権は無く、点滴、しかも手術用の太い針をさされて
しまった。
痛いのは最初だけだったけど、うっとおしくて、イヤだった。
そうそう、この点滴結局この後、3日間続くことになるなんて
知らずに・・・

落ち着いてきてから、実家の母に電話した。
その時点で手術の予定は、明日火曜の3番目だった。
母の声が、なんとなく、心に痛かった。

看護婦さんから、入院生活の予定、手術前の処理や、手術後の予定など
の説明があった。
頂いた紙には9日間の入院予定が食事も含めて書いてあった。
緊急の場合、今日にでも手術をするという理由から、昼からの食事は、
一切禁止になっていた。次の食事は2日後・・・

夕方先生がやってきて、緊急性があるため、手術を朝一番に変更した
ことが告げられた。
8:30には、病室を出るとこのことだった。

明日は手術という実感は無かった。
旦那様は、結局、面会終了の20時までいてくれた。

21時、病院は消燈
昨日までの健康児は、眠れるはずも無く、ボーっと過ごした。
点滴のせいで、何度もトイレにいった。


2004年8月31日(火)


病院の朝はやたらと早い。
いつもは、寝ぼすけの私も6時台に自然と目が覚めた。
テーブルをみると、手術着が置かれていた。
そうか、今日は手術だ。

看護婦さんが、血圧と脈拍、体温をとりにやってきた。
優しそうな看護婦さんだった。

8:00 母と叔母がやってきた。パジャマとかお臍まで隠れる
大きいパンツとか、入院に必要なものを持ってきてくれた。

8:10 旦那様到着

看護婦さんがしきりに出入りして、あれしてこれ何処 騒がしい^^;
下着をとって手術着に着替えるように促される
点滴があるため、看護婦さんに手伝ってもらう

手術用のストッキング(エコノミー症候群防止らしい)を履くように促される
硬いため、旦那様に手伝ってもらうよう促される(恥)

8:25 看護婦さん数人によって、大げさにもストレッチャーが運ばれてきた
なんか、ドラマの主人公の女優さんになった気分(笑)

不思議と緊張感はナシ
大げさなストレッチャーに運ばれて、3階手術室にむかう

旦那様は、私のすぐ横をキープ
少し後ろに、母と叔母が続く

手術室のフロアにつくと、既に先客が2名、ストレッチャーで並んでいた

手術室のドアは自動ドアで大きい

ちょっと、緊張してきた。
旦那様がずっと手を握ってくれている
前の2人が入って、私の番になった時、ママと叔母に握手した
「頑張るんだよ」「うん」
っていった気がする

手術室に入る前に、旦那様がキスしようとした。
母や看護婦さんの手前「ヤダ」ってかわした。外国では当たり前
の習慣らしい(っていうか、外人じゃないし・・・)

手術室のなかは、意外に広かった。ガラス張りの明るい廊下が
長くあって、外から庭がちょっと見えた。

手術室の看護婦さんはやたらと冷たい印象で、化粧が濃かった。
名前の確認を何度もされて、手術室に。
怖かったから、あんまり設備とかは見ないようにした。
看護婦さんが5分に一度自動的に測る血圧計です。腕に血圧計を
巻いた。絶対、5分も経たずに、何度もしまっていた気がする

足にマッサージ器が取り付けられた。エコノミー症候群防止だそうだ。

麻酔科の先生が、「麻酔を点滴に入れるから手が痛くなりますよ」
といって、何かを点滴に入れた。
冷たいものが入ってきたと思ったら、必要以上(?)に腕が痛くなった。
メッチャ痛い!と思った辺りから記憶が消えた。。。


「・・・・・」
なんとなく、名前を呼ばれた気がする。
気がつくと回復室に運ばれて、何度か意識が戻ったり眠ったり繰り返して
いたような感じだった。
どの位、経ったのだろうか。。。

病室に戻された。

多分すごい格好をしていたと思う。
酸素マスクに、点滴、尿管、足マッサージ器
管だらけ。

誰も居なかった。看護婦さんだけがしきりに、検温やら血圧やらで出入りして
いた。

暫くすると、旦那様がやってきた。
何か話したような気もするが、覚えていない。

何時頃だろう。目を開けたら、旦那様の両親がいた。
何か話したような気もするが、覚えていない。

再び気が付くと母と叔母がいて、またくるねと言って出て行った。

きっと、眠ったり起きたりを繰り返していたのでしょう。
私を起さないようにと、旦那様はどこかに行ってしまっていた。

寂しくて仕方なくなり、我慢していたけど、我慢しきれなくて
自力で枕もとの携帯から、旦那に「どこ?」とメールした。
1分もしないで旦那様がやってきた。
多分「寂しかった」って言ったと思う。
麻酔のせいか、この日のことは殆ど覚えていない。

8時、旦那様は病室から帰っていった。

痛みが出てきた。お医者様に痛みを訴えて、痛み止めを打ってもらった。
痛み止めは6時間に1回しか打てなかったが、4時間くらいしか持たなくて
残り2時間は耐えるしかなかった。

夜は、全く眠れず、長い夜を過ごすことになった。
尿管をしていたのでトイレに立つことは、無かったが、
寝返りが打てずに、腰が死ぬほど痛かった。




2004年9月1日(水)


今日も旦那様が、休んでついていてくれる予定。
痛みは、相変わらず。。。
だけど、どこがどう痛いかはあまり覚えていない。
精神的に痛かったのかもしれない。

夜は何度も目を覚ましてしまったので、ちょっぴり眠かった。

朝一番で、酸素の管が外された。
昨日と違って、意識はハッキリしていた。
朝食、おいしそうな匂いだけがカーテンの向こうからする。
私はお昼までは、絶食だ。
お腹はすかないけれど、いいかげん喉がかわく。
寝たままで、うがいをして喉の渇きを
腰が異様に痛かった。体温を測りにきた看護婦さんに腰痛を訴え
シップをおねだりした。
大嫌いな採血も、あまり痛みを感じなかった。

面会時間よりは大分早いが旦那様が来てくれた。見慣れた顔をみてちょっと安心する。
手術後寝たきりだったが、午後は尿管を外し、起き上がってトイレまで歩くという。
大丈夫かなぁと不安になる

そうそう、殆どの看護婦さんが、時間外に私のベットの横にいた旦那様を黙認していてくれたが
一人の看護婦さんに怒られた。
看護婦「面会時間外ですから、ロビーでお願いします」
ロビーといっても私はまだ動けない
看護婦さんが去って行ったあと、旦那様は
「あの看護婦さん少しくらいカワイイからっていじわるだな」と
しかも、旦那はシカトといって外に出なかった^^;

午後、水分OKがでた。この時ほど水とポカリスエットがおいしいと思ったことはない(><)
そして、いよいよ尿管外し
想像と違って、全く痛くなかったが、この後起き上がるのがすごく辛かった。。。
いつも、当たり前のように起き上がったり、歩いたり、寝たりしていたけれど、何気なく腹筋
使っているんですね。
お腹に力が入ると、激痛が。うまく体に力を加えないと、起き上がれない。歩けない。。。
トホホ情けない。
辛いなら、歩かなければいいじゃんと思ったが、点滴のせいでトイレが近い。
尿管をしていたせいか、尿意が微妙に感覚がずれる。

そんな、トイレまで歩くことに必死になっているうちに、夜を迎える。
流動食が出てきた。3日ぶりの食事なので嬉しい筈が、「んむむ・・・?なんじゃ、こりゃ?」
おかゆの上にある、水分だけの重湯と、出し汁みたいな、何も入っていないお吸い物、
固める前の茶碗蒸みたいなもの、ヨーグルトにジュースを混ぜたようなデザート?

全て、一口くらい食べて、リタイア(><);

旦那様は20時になると帰っていきました。ありがとう★




2004年9月2日(木)


相変わらず、夜中に何度も目がさめる。
今日から、少しまともな食事(朝3部粥:昼5部粥:夜全粥)が出るから楽しみ。
24時間つけっぱなしの点滴も、今日から2本に減るのも楽しみだ。
(といっても、針はつけっぱなしなんですけどね^^;)
今日は、病棟内は、自由にあるいて、徐々に歩くことに慣れていくようにとのこと
ここに来て思ったことは、看護士の仕事って大変だなぁってこと
医学的なことはもちろん、変な話、下の世話から食事の世話まで・・・
今度生まれ変わったら看護士になるものいいかも(^0^)

今日は、旦那様は仕事に行った。働いてもらわなければですよね★
いっぱい、休んでもらっちゃったし・・・
午後、母と叔母が見舞いに来てくれた。
母はすごく冷静で、入院に必要なものを持ってきてくれた。
手術のときもいてくれたけど、手術日はあまり記憶がなくて・・・
とりあえず、点滴の台を手すり代わりに、痛々しく腰を曲げて歩いていた。

夕方、親友と、仲のよい仲間たちがお見舞いに来てくれた。
嬉しかったなぁ~
病気になると、ちょっぴり後ろ向きになるから、気を使わない友達と
話すのはすごく楽しかったし、和みました★
旦那様と、お友達と、楽しい時間を過ごしました。


2004年9月3日(金)


病院に入ってから、ずっとだけど、朝自然に目がさめる。
そして、夜中何度もトイレにおきる
今日から、食事が普通食になる。ちょっと期待。
私の場合、入院時に緊急手術の可能性があったため、絶食しており、普通の食事をとるの
は、この日が初めてとなる。(ちなみに入院も初めて)
想像はしていたものの、期待はずれの食事にショックを受ける。
まずい。
本当に栄養士がついているのかと疑いたくなるくらいまずい^^;

この日から、1階にある、売店まで歩いていって、気分転換と体力つくりを始める
点滴は2本

夜、旦那様がやってきて、旦那様の食事を分けてもらう。


2004年9月4日(土)


世間は、土曜日だ。
日々、体力は回復している
痛みは若干あるものの、首から上はとっても元気だった。
この頃から、便秘に悩まされる。
食事は相変わらずまずいので、旦那様のお弁当を分けてもらう


2004年9月5日(日)


もう数日で退院できる予感。
歩き方もだいぶしっかりしてきた。
点滴の針も外れて、元気いっぱい。
食欲も出てきて、ビックリ


2004年9月6日(月)


退院診察があった。
先生から「明日帰ってもいいよ」という言葉をもらった(^0^)
すぐに「明日の午後一で帰ります」と返事をした。
やった!


2004年9月7日(火)


無事退院
朝一番で、シャワーと洗髪をした。
久しぶりにきる、洋服!

退院手続きは旦那様を待っている間に自分でやった。
入院費は約16万円

まだ、今までの生活をするのは難しいので、旦那様に迎えに来てもらい
実家に送っていってもらう
毎日会っていたので、しばらくお別れ。
寂しいよぉ。。。

でも、家にいたのでは、旦那様も私も不安なので、実家で面倒を見てもらうことに
した。実家は父が入院中だが、まもなく退院できると聞いていた

やさしい旦那様は、高速もゆっくりめで私の体に負担がかからないように
運転してくれた。
by maki_2004_happy | 2004-10-05 12:26 | 子宮外妊娠(2004年秋)

というわけで

コメントくださっている皆様
ちょっと、お返事が遅くなります。

更新をする準備をしているさなかの、再入院のため
もう少し待ってくださいね。

まき
by maki_2004_happy | 2004-09-18 13:47 | 子宮外妊娠(2004年秋)

トホホ パート2

えと、14日火曜から仕事復帰しました。

14日(火)軽く、10時から17時まで勤務
15日(水)ちょっとお腹が痛くて早退 病院へ
16日(木)ラッシュを避けようと、20時に退社する予定だった
       ⇒20時、お腹が激しく痛くなり、歩くのがやっと
         出血も多く、心配になり病院へ電話
         救急でかかるよう指示を受ける
       ⇒20時45分 病院到着 そのまま入院
       ⇒21:15 旦那様到着
     *出血と腹痛のため病院で一晩過ごし、金曜に検査を受けることに

17日(金)血液検査と尿検査
      妊娠性ホルモンの値は高いものの、先生が予想していたより低い
      貧血が進んでいる
      とりあえず、様子をみるために、念のため入院
      ・妊娠性のホルモン数値が上がったら緊急手術
      ・貧血の値が9~8になったら即手術
      ・妊娠性のホルモン数値が下がればOK

     火曜日まで経過観察

18日(土)今日現在、腹痛も落ち着いているし、出血も多くはない
      多分、大丈夫な気がする

旦那様、家族、友人などには、本当迷惑と心配をかけっぱなしだけど
この生命力、違うところに生かしたかったと思いつつ
今は、治療に専念します。

病院の10分インターネットより MAKI
by maki_2004_happy | 2004-09-18 13:46 | 子宮外妊娠(2004年秋)

天使になった私達の赤ちゃん【1】

2004年9月14日(火)

無事に、職場復帰することができた。
しかし、昨日の主治医の
「数値が下がっていない。とりあえず様子をみましょう。
金曜日にまた来てくださいね。
もしこのまま下がらなかったら、次の処置を考えないといけませんね。
具体的には、再手術か、抗がん剤を使った治療になります」
という言葉が、頭の中をぐるぐる回る。

一言で、表すなら「不安」だ。





天使になった、私達の赤ちゃん


2004年8月20日(金)

ここのところ、とても体調が悪い
ものすごくだるいのと、何故か足の付け根が痛い
基礎体温が高いまま

これは、もしかして妊娠かしら?と思い、とりあえず
週末に妊娠検査薬を買おうと思う
気持ちとしては、やや微妙
実感まるでナシ^^;
とりあえず、旦那様に、妊娠したかもと伝える
旦那様の反応も微妙



2004年8月21日(土)

妊娠検査薬を購入
ちょっと恥ずかしかったカモ☆

家に帰って、早速、検査をしてみる
食べたジャンクフードが悪かったのか、おなかも壊し
トイレからなかなか出られない(><)

結果:怖いから旦那様に見てもらった


陽性


そう、陽性だった。
昨日までの旦那様の反応と違って、大喜び
2人して、はしゃいだ
早くも、男の子かなぁ、女の子かなぁと想像して
名前なんか考えて浮かれていた。
設計中の家も、「やっぱかっこよさより、住み易さ安全性でしょ。」
なーんて、言って未来を想像しながら「もう一部屋作ろうか」
なんて、はしゃいでた。

勿論、何の不安も心配もなく、普通の出産ができるものと
思い込んでいた。
そうそう、流産が10%位あるみたいだから、とにかく
安静にしなきゃという認識だけがあった

この日から私の禁煙・禁酒生活が始まる
でも、ルンルンだから、何の問題もなかった。



2004年8月22日(日)

入院中の父を見舞いに、埼玉へ行く
毛糸のパンツなんぞはいて、ちょっとお腹をいたわってみた。

早速、旦那様から、テレながら実家の父と母に妊娠報告
大喜びと一緒に早く病院に行くように勧められる
排卵日もわかっていた私は、来週末に行くよといって
ご機嫌だった。

なんとなく、親になる実感が湧いてきた

そして、気が早い私は、
やっぱ、里帰り出産したいなと思い、地元の出産経験のある
友達に、妊娠報告し、地元の産婦人科情報を集めていた。
みんな、「やっとマキもママ友だねっ」って喜んでくれていた


2004年8月23日(月)

満員電車がちょっとツライ
特に、吐き気などはないが、相変わらずだるい
熱っぽさも加わっていた

まー、幸せだからなんとも感じていなかった

ところが、昼過ぎ、お腹がすごく痛くなってきた
激痛(><)

不安がよぎり、すぐに中抜けして職場近くの産婦人科を受診
「流産しちゃったらどうしよう・・・」

産婦人科では、事務的に色んな事を書かされて、「陽性反応がでたのね?」
と確認された。特に尿検査はなかった。
やたらとテンションが高い、先生だった。

そして、内診台にのって、一緒に膣内をエコーで診る。
ちょっと、ボロイ内診台だったが、モニタは新品だった
先生「う~ん。まだ早いのかな?赤ちゃんが見えていいはずなのに
見えないなぁ。もう一回診てみようか?」
数回繰り返し丁寧に診察してもらったが、胎嚢は確認できなかった。
「もしかしたら、まだ時期が早いから見えないのかもしれませんね。
もう一度、木曜か金曜に来てくださいね」
不安が一気に広がった
「一応、予定日は4月25日ですよ」
一応という言葉が引っかかった。
絶対ここでは産まないと思った。



2004年8月26日(木)

相変わらずお腹が痛いことがある
激痛ではない
なんとなく、不安が続いていた。

再診を受けた。
先生「今日は、見えるといいね」
相変わらずテンションが高い

ちょっと不安だったけど、私が期待していた言葉は
「あっ、見えたよ。これが心臓だよ」という言葉

しかし、先生から出た言葉は
「う~ん、やっぱり見えないねぇ。成長が遅いのかなぁ~
じゃ、降りてください。診察室でお話しますね」

頭の中が真っ白になるのを感じた。

「子宮外妊娠の可能性が高いです。」
その後、子宮外妊娠について説明をしてくれた
症状、検査方法、治療方法・・・
でも、覚えていない。あまり、頭に入らなかった。
しっかり覚えているのは、赤ちゃんは100%助からないという
言葉だけ

頭がクラクラした

先生は、大学病院への紹介状と、朝一番の尿を持っていくようにと
尿検査のキットをくれた

そんな日に限って、旦那様の帰りは遅かった。
不安で一杯だった。
でも、もしかしたら間違いかもしれないから、あまり不安になっちゃうと
赤ちゃんに悪いと、自分に言い聞かせた。



2004年8月27日(金)

会社を午前半休した
8:30、渋谷区にある、大きな大学病院の初診窓口に出向いた。
旦那様が、一緒に来てくれた。

産科の患者さんは、お腹が大きい人もいて、ちょっとドキドキした。
夫婦で来ている人が多かったので、旦那様が隣にいてくれてちょっと安心した。

どの位、待っただろうか。。。
診察室に呼ばれた。旦那様はロビーで待っていた

紹介状を持って、ドキドキしながら診察
先生はやさしそうな、白髪混じりの男性だった
最終生理日や、基礎体温表、症状などを聞かれて、内診室に入るように促された。

さすが、大学病院。
内診台は、とっても最新式のものだった。
そんなことは、どうでもいい。
内診とエコーの診断が始まった。ずいぶん長い間、診察されていたような
きがする。
モニターに赤ちゃんの袋みたいなものが確認できた。
ただし子宮内ではない場所に・・・

先生「子宮外妊娠の可能性は95%です。入院手術する形になるでしょう」
私「あの、外に主人がおりますので、一緒に聞いた方が宜しいでしょうか」
先生「そうですね。」

どうやって、旦那様を呼んだか覚えていない。

先生は、子宮外妊娠について、説明していた。
簡単に言えば、受精後、子宮に着床しなければならない卵が
子宮以外に着床すること
私の場合、恐らく、右の卵管に妊娠しており、子宮と違って
赤ちゃんの成長とともに、卵管は大きくならない為、
とってしまわないと、卵管破裂を起こし、最悪な場合、ショックで
命を落とすこともあるということ

手術方法とリスクについて
私の場合は、腹腔鏡をつかって、お腹に穴をあけて行う手術をし
最悪の場合、開腹で卵管を取ってしまう場合もあるが、基本的には
将来の妊娠を期待して、卵管温存する方向で行くということ

土日は安静にして、月曜日に再度くるように言われた。
95%の確立で、月曜に入院してもらうので、入院の準備もしてくるように
との事だった。
もし、土日にお腹に激痛が走ったり、大量出血が合った場合は
すぐに救急車を呼んで、運ばれた病院で「外妊の可能性があると診断されている」
旨をいうように言われた。

なんだか、よく事情が読めない。旦那様は、先生に色々質問していたけど
私は右から左に抜けていった。


わかったことは、私達の赤ちゃんは、この世に生まれないって事だけ


先生が5%の確立の正常妊娠の可能性のため、レントゲンは月曜にしましょう
採血と心電図だけ、今日とってから帰ってくださいと言われた。

採血の順番を待っているとき、悔しくて涙した。
寂しくて、悲しくて、涙があふれた

泣いても仕方ない



午後から、出社し、月曜から入院する為、2週間ほど休みをいただく旨と
関係社員に引継ぎなどバタバタとすごした。
忙しいのが嬉しかった。考えなくて済む。。。

ラッシュが嫌だったので、旦那様には、ラッシュが無い時間まで
会社で残業してから、帰るつもりという事をメールした。

そしたら、旦那様が家に帰って車で迎えに来てくれた。
優しさがしみる。
嬉しかった。



2004年8月28日(土)
昨日から、少し出血している
お腹は、さほど痛くない。
先生からは、お腹がすごく痛かったら・・・と説明を受けたが
正直、どこからが「スゴク」になるのかがわからない

今日は、旦那様は友人の結婚式の二次会で、バンド披露をする予定
外出中に、卵管破裂して救急車呼べずに死んでたら、シャレにならないので
私は、旦那様の送り迎え付で、市内に住む親友の家に預かってもらうことにしました。
首から上は、とても元気なので、彼女の結婚の話(今年のクリスマスに結婚)や
色んな話をして相手してもらいました。
ありがとー☆
お腹に優しいご飯まで作って頂いて、本当感謝♪
優しさがしみましたわ。。。
やっぱ、友達って大切ですね。

とにかく、無事に過ごせて良かった。



2004年8月29日(日)
絶対安静ということで、家事はせず、一日中旦那様と家で
すごしました。
一応、入院準備などしながら。。。

5%の確立で、もし正常妊娠だったら、みんなに笑ってもらおう☆と
思いながら、一日を過ごしました。

不思議と不安はあまり感じませんでした。
精神的には、落ち着いていたのでしょうか。
by maki_2004_happy | 2004-09-14 15:12 | 子宮外妊娠(2004年秋)

病は突然やってきた?!

ブログを17日ほど休みましたが、どうにか、本日より
日常生活復活です。

コメントを頂いた皆様、ありがとうございました。
お見舞いにきてくれたお友達、嬉しかったです☆
たくさんメールくれた、たくさんのお友達ありがとう♪

私達、新婚カップルには、ちょっと厳しい現実でした。
初めての入院、手術、体力的にも精神的にもちょっぴり辛かったかな。

とりあえず、とっても仕事が溜まってしまったので、そちらを優先で
処理しながら、少しずつ、同じ病気で苦しむ人の参考の為に
自分が忘れない為にも
UPしていきたいと考えています。

ちょっぴり、悲しいけど、心温かいお話かもしれません。


そうそう、9日間入院し、5日間実家に帰り、2日間家でのんびりしたので
家事、全然してません。
ごめんよー旦那様☆
by maki_2004_happy | 2004-09-14 12:39 | 子宮外妊娠(2004年秋)

とほほ・・・

えと、突然ですが来週入院・手術することになりました。

ということで、次のブログアップは9月中旬になりそうです(><)

初めての入院で、かなり沈んでます。
まぁ、命に別状はないようですが、仕事が忙しいこんな時に
何も手術しなくったって・・・

って、自分の体に問い掛けたい・・・

ということで、暫く皆様ともお別れです。。。
by maki_2004_happy | 2004-08-27 14:01 | 子宮外妊娠(2004年秋)

だるい。体がだるい

今週は、なんだか体がだるい
特に、朝、ものすごいダルさを感じる

そして、お腹や胸が張って痛い
ついでに、腰と足も痛い

そんなわけで、昨日は早く寝ました。
夜中に起きると
何故かベットの下のほうに彼が寝ている

そう、私がベット(クィーンサイズ)に大の字で寝ていた為
彼は寝れなかったのです。
だから、足元に寝ていました。

(やさしい☆)

ということで、彼を一旦起して移動してもらい、再び眠りにつきました。

昨日の睡眠時間は8時間!
なのに、だるい。
なんだか変だ
by maki_2004_happy | 2004-08-19 15:37 | 子宮外妊娠(2004年秋)