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wedding 日記 

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天使になった私達の赤ちゃん【2】 入院~手術

2004年8月30日(月)


朝、旦那様の運転で、一応入院の荷物を持って病院にやってきた
予約の時間、旦那様と一緒に、診察室に入った。

先生「やはり、子宮外妊娠ですね。妊娠性のホルモンの値が5000を
超えています。今日、入院しましょう。手術は早い方がいいですね。
手術室確認するけど、今日出来たらしましょう」
先生は、手術室に連絡をし、なにやら調整してくれていた。

内診室で再度受診
これも、ずいぶん長い時間だった気がする。

それから、先生より、夫婦に詳細の話があった。
正直、何を言っていたかあまり覚えていない。
多分、手術の詳しい話と、状態の話、入院期間の話とかだったと思う。
手術のリスクや、出血時の輸血などの話があり、同意書にサインを
求められた。
「もう逃げられない・・・」
クラクラしてきた。
恥ずかしながら、本当に血の気が引いていって、フラフラになり
診察室のベットに横にならせてもらって、話を聞いた。

入院は、約9日間
手術時間は1時間半~2時間程度
腹腔鏡を使っての手術で基本的に卵管を温存する方向にするが、なかの
状態が良くなければ卵管を取ることもある
今後の妊娠について

保留になっていた、レントゲンを撮って、入院の手続きをした。
気持ちだけは普通の妊婦さんと一緒だっただけに、覚悟はしていたものの
レントゲン室で、一人、ちょっぴり涙した。

病棟は5階だった。
初入院
病室からは、職場のタワービルが見えた(^^;)
窓際だし、電動ベット(そうでない人もいた)だし、場所は悪くなかった。
まー、そんなことはどうでもいいが・・・
看護婦さんがやってきて、ベット回りの説明をしてくれた。
服は着替えても、そのままでもいいという
だから、そのまま旦那様とリラックスしていた。
すると、若いお医者様と看護婦さんがやってきた。
どうやら、病棟の担当の先生になるようだ。
先生「じゃ、採血と、点滴しますね。」
私「えっ、でも電話とかトイレとか行きたかった」
先生「あっ、点滴中でもできるから大丈夫だよ」
私心の中で「できないっちゅーの」

生まれて2回目の点滴を打つ私は、緊張していた。
結局、拒否権は無く、点滴、しかも手術用の太い針をさされて
しまった。
痛いのは最初だけだったけど、うっとおしくて、イヤだった。
そうそう、この点滴結局この後、3日間続くことになるなんて
知らずに・・・

落ち着いてきてから、実家の母に電話した。
その時点で手術の予定は、明日火曜の3番目だった。
母の声が、なんとなく、心に痛かった。

看護婦さんから、入院生活の予定、手術前の処理や、手術後の予定など
の説明があった。
頂いた紙には9日間の入院予定が食事も含めて書いてあった。
緊急の場合、今日にでも手術をするという理由から、昼からの食事は、
一切禁止になっていた。次の食事は2日後・・・

夕方先生がやってきて、緊急性があるため、手術を朝一番に変更した
ことが告げられた。
8:30には、病室を出るとこのことだった。

明日は手術という実感は無かった。
旦那様は、結局、面会終了の20時までいてくれた。

21時、病院は消燈
昨日までの健康児は、眠れるはずも無く、ボーっと過ごした。
点滴のせいで、何度もトイレにいった。


2004年8月31日(火)


病院の朝はやたらと早い。
いつもは、寝ぼすけの私も6時台に自然と目が覚めた。
テーブルをみると、手術着が置かれていた。
そうか、今日は手術だ。

看護婦さんが、血圧と脈拍、体温をとりにやってきた。
優しそうな看護婦さんだった。

8:00 母と叔母がやってきた。パジャマとかお臍まで隠れる
大きいパンツとか、入院に必要なものを持ってきてくれた。

8:10 旦那様到着

看護婦さんがしきりに出入りして、あれしてこれ何処 騒がしい^^;
下着をとって手術着に着替えるように促される
点滴があるため、看護婦さんに手伝ってもらう

手術用のストッキング(エコノミー症候群防止らしい)を履くように促される
硬いため、旦那様に手伝ってもらうよう促される(恥)

8:25 看護婦さん数人によって、大げさにもストレッチャーが運ばれてきた
なんか、ドラマの主人公の女優さんになった気分(笑)

不思議と緊張感はナシ
大げさなストレッチャーに運ばれて、3階手術室にむかう

旦那様は、私のすぐ横をキープ
少し後ろに、母と叔母が続く

手術室のフロアにつくと、既に先客が2名、ストレッチャーで並んでいた

手術室のドアは自動ドアで大きい

ちょっと、緊張してきた。
旦那様がずっと手を握ってくれている
前の2人が入って、私の番になった時、ママと叔母に握手した
「頑張るんだよ」「うん」
っていった気がする

手術室に入る前に、旦那様がキスしようとした。
母や看護婦さんの手前「ヤダ」ってかわした。外国では当たり前
の習慣らしい(っていうか、外人じゃないし・・・)

手術室のなかは、意外に広かった。ガラス張りの明るい廊下が
長くあって、外から庭がちょっと見えた。

手術室の看護婦さんはやたらと冷たい印象で、化粧が濃かった。
名前の確認を何度もされて、手術室に。
怖かったから、あんまり設備とかは見ないようにした。
看護婦さんが5分に一度自動的に測る血圧計です。腕に血圧計を
巻いた。絶対、5分も経たずに、何度もしまっていた気がする

足にマッサージ器が取り付けられた。エコノミー症候群防止だそうだ。

麻酔科の先生が、「麻酔を点滴に入れるから手が痛くなりますよ」
といって、何かを点滴に入れた。
冷たいものが入ってきたと思ったら、必要以上(?)に腕が痛くなった。
メッチャ痛い!と思った辺りから記憶が消えた。。。


「・・・・・」
なんとなく、名前を呼ばれた気がする。
気がつくと回復室に運ばれて、何度か意識が戻ったり眠ったり繰り返して
いたような感じだった。
どの位、経ったのだろうか。。。

病室に戻された。

多分すごい格好をしていたと思う。
酸素マスクに、点滴、尿管、足マッサージ器
管だらけ。

誰も居なかった。看護婦さんだけがしきりに、検温やら血圧やらで出入りして
いた。

暫くすると、旦那様がやってきた。
何か話したような気もするが、覚えていない。

何時頃だろう。目を開けたら、旦那様の両親がいた。
何か話したような気もするが、覚えていない。

再び気が付くと母と叔母がいて、またくるねと言って出て行った。

きっと、眠ったり起きたりを繰り返していたのでしょう。
私を起さないようにと、旦那様はどこかに行ってしまっていた。

寂しくて仕方なくなり、我慢していたけど、我慢しきれなくて
自力で枕もとの携帯から、旦那に「どこ?」とメールした。
1分もしないで旦那様がやってきた。
多分「寂しかった」って言ったと思う。
麻酔のせいか、この日のことは殆ど覚えていない。

8時、旦那様は病室から帰っていった。

痛みが出てきた。お医者様に痛みを訴えて、痛み止めを打ってもらった。
痛み止めは6時間に1回しか打てなかったが、4時間くらいしか持たなくて
残り2時間は耐えるしかなかった。

夜は、全く眠れず、長い夜を過ごすことになった。
尿管をしていたのでトイレに立つことは、無かったが、
寝返りが打てずに、腰が死ぬほど痛かった。




2004年9月1日(水)


今日も旦那様が、休んでついていてくれる予定。
痛みは、相変わらず。。。
だけど、どこがどう痛いかはあまり覚えていない。
精神的に痛かったのかもしれない。

夜は何度も目を覚ましてしまったので、ちょっぴり眠かった。

朝一番で、酸素の管が外された。
昨日と違って、意識はハッキリしていた。
朝食、おいしそうな匂いだけがカーテンの向こうからする。
私はお昼までは、絶食だ。
お腹はすかないけれど、いいかげん喉がかわく。
寝たままで、うがいをして喉の渇きを
腰が異様に痛かった。体温を測りにきた看護婦さんに腰痛を訴え
シップをおねだりした。
大嫌いな採血も、あまり痛みを感じなかった。

面会時間よりは大分早いが旦那様が来てくれた。見慣れた顔をみてちょっと安心する。
手術後寝たきりだったが、午後は尿管を外し、起き上がってトイレまで歩くという。
大丈夫かなぁと不安になる

そうそう、殆どの看護婦さんが、時間外に私のベットの横にいた旦那様を黙認していてくれたが
一人の看護婦さんに怒られた。
看護婦「面会時間外ですから、ロビーでお願いします」
ロビーといっても私はまだ動けない
看護婦さんが去って行ったあと、旦那様は
「あの看護婦さん少しくらいカワイイからっていじわるだな」と
しかも、旦那はシカトといって外に出なかった^^;

午後、水分OKがでた。この時ほど水とポカリスエットがおいしいと思ったことはない(><)
そして、いよいよ尿管外し
想像と違って、全く痛くなかったが、この後起き上がるのがすごく辛かった。。。
いつも、当たり前のように起き上がったり、歩いたり、寝たりしていたけれど、何気なく腹筋
使っているんですね。
お腹に力が入ると、激痛が。うまく体に力を加えないと、起き上がれない。歩けない。。。
トホホ情けない。
辛いなら、歩かなければいいじゃんと思ったが、点滴のせいでトイレが近い。
尿管をしていたせいか、尿意が微妙に感覚がずれる。

そんな、トイレまで歩くことに必死になっているうちに、夜を迎える。
流動食が出てきた。3日ぶりの食事なので嬉しい筈が、「んむむ・・・?なんじゃ、こりゃ?」
おかゆの上にある、水分だけの重湯と、出し汁みたいな、何も入っていないお吸い物、
固める前の茶碗蒸みたいなもの、ヨーグルトにジュースを混ぜたようなデザート?

全て、一口くらい食べて、リタイア(><);

旦那様は20時になると帰っていきました。ありがとう★




2004年9月2日(木)


相変わらず、夜中に何度も目がさめる。
今日から、少しまともな食事(朝3部粥:昼5部粥:夜全粥)が出るから楽しみ。
24時間つけっぱなしの点滴も、今日から2本に減るのも楽しみだ。
(といっても、針はつけっぱなしなんですけどね^^;)
今日は、病棟内は、自由にあるいて、徐々に歩くことに慣れていくようにとのこと
ここに来て思ったことは、看護士の仕事って大変だなぁってこと
医学的なことはもちろん、変な話、下の世話から食事の世話まで・・・
今度生まれ変わったら看護士になるものいいかも(^0^)

今日は、旦那様は仕事に行った。働いてもらわなければですよね★
いっぱい、休んでもらっちゃったし・・・
午後、母と叔母が見舞いに来てくれた。
母はすごく冷静で、入院に必要なものを持ってきてくれた。
手術のときもいてくれたけど、手術日はあまり記憶がなくて・・・
とりあえず、点滴の台を手すり代わりに、痛々しく腰を曲げて歩いていた。

夕方、親友と、仲のよい仲間たちがお見舞いに来てくれた。
嬉しかったなぁ~
病気になると、ちょっぴり後ろ向きになるから、気を使わない友達と
話すのはすごく楽しかったし、和みました★
旦那様と、お友達と、楽しい時間を過ごしました。


2004年9月3日(金)


病院に入ってから、ずっとだけど、朝自然に目がさめる。
そして、夜中何度もトイレにおきる
今日から、食事が普通食になる。ちょっと期待。
私の場合、入院時に緊急手術の可能性があったため、絶食しており、普通の食事をとるの
は、この日が初めてとなる。(ちなみに入院も初めて)
想像はしていたものの、期待はずれの食事にショックを受ける。
まずい。
本当に栄養士がついているのかと疑いたくなるくらいまずい^^;

この日から、1階にある、売店まで歩いていって、気分転換と体力つくりを始める
点滴は2本

夜、旦那様がやってきて、旦那様の食事を分けてもらう。


2004年9月4日(土)


世間は、土曜日だ。
日々、体力は回復している
痛みは若干あるものの、首から上はとっても元気だった。
この頃から、便秘に悩まされる。
食事は相変わらずまずいので、旦那様のお弁当を分けてもらう


2004年9月5日(日)


もう数日で退院できる予感。
歩き方もだいぶしっかりしてきた。
点滴の針も外れて、元気いっぱい。
食欲も出てきて、ビックリ


2004年9月6日(月)


退院診察があった。
先生から「明日帰ってもいいよ」という言葉をもらった(^0^)
すぐに「明日の午後一で帰ります」と返事をした。
やった!


2004年9月7日(火)


無事退院
朝一番で、シャワーと洗髪をした。
久しぶりにきる、洋服!

退院手続きは旦那様を待っている間に自分でやった。
入院費は約16万円

まだ、今までの生活をするのは難しいので、旦那様に迎えに来てもらい
実家に送っていってもらう
毎日会っていたので、しばらくお別れ。
寂しいよぉ。。。

でも、家にいたのでは、旦那様も私も不安なので、実家で面倒を見てもらうことに
した。実家は父が入院中だが、まもなく退院できると聞いていた

やさしい旦那様は、高速もゆっくりめで私の体に負担がかからないように
運転してくれた。
by maki_2004_happy | 2004-10-05 12:26 | 子宮外妊娠(2004年秋)
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